海外留学は精神障害者達の私宅監置ではない。悪霊退散

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%AE%85%E7%9B%A3%E7%BD%AE

私宅監置

ウィキペディアより引用
私宅監置(したくかんち)とは、日本にかつて存在した、精神障害者(当時は精神病者と呼んだ)に対する制度で、自宅の一室や物置小屋離れなどに専用の部屋を確保して精神障害者を「監置」することである。

明治時代昭和時代中期頃までの精神医療は、精神障害者の治療よりも隔離・監禁することを主な目標としていたが、当時は精神科病院や精神科病棟は不足していた。そのため「私宅監置」が行われた。

「私宅監置」とは、「私人が行政庁の許可を得て、私宅に一室を設け、精神病者を監禁する」制度である。病院に収容しきれない精神障害者に関して、患者の後見人や配偶者などの私人にその保護の義務を負わせ、その私宅内に専用の部屋を設けて閉じ込めさせ、それを内務省警察)が管理するという、近代国家における医療制度としては、諸外国にも類例をみない極めて異質な制度だった。江戸時代より存在した座敷牢の合法化ともいえる。

1918年当時、病院に入ることが出来たのはごく少数の富裕層のみで、中産階級以下のほとんどの人は私宅監置、さもなくば祈祷などの民間療法を利用していた。私宅監置を行うと、精神病を発症した患者本人の所得が無くなるのはもちろん、監置に当たる家族も消耗するため、貧困家庭だけでなく中産階級においても大きな負担で、最終的に破産する者も少なくなかった。

また、ホームレスや生活困窮者の精神病者に関しては、市区町村長にその保護の義務を負わせたため、東京府大阪府のような病院を建てる金のない地方都市においては、公立の監置室も設置された。私宅の監置室とほぼ同じ構造で、医者も治療も存在せず患者を隔離するだけの施設もあったが、行路病者収容所などの公立救護所内の精神病室として設けられたものは、多少ながら施薬や治療が受けられたものもある。

当時の東京帝国大学医科大学精神病学教室主任であった呉秀三が「私宅監置」の実態を調査し、1918年に出版された『精神病者私宅監置ノ実況』(国立国会図書館デジタルコレクションにて公開中)において詳細に報告している。この本で述べられた「わが国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この邦に生れたるの不幸を重ぬるものと云ふべし」の言葉は、極めて劣悪であった当時の精神衛生の現状と、現在までに至る日本の精神衛生の原点を示す言葉として、あまりに有名である。

日本列島では1950年精神衛生法施行にて私宅監置が禁止されたがアメリカ合衆国による沖縄統治下にあった沖縄県では、本土復帰する1972年まで私宅監置が行われた。
そのため、私宅監置に使われた小屋が2018年現在も沖縄県に現存している。2021年3月、この問題を採り上げた映画「夜明け前のうた ―消された沖縄の障害者―」が封切られた。

実態

私宅監置の実態は、一言で言うなら「治療なき監禁」で、その設備においても治療・看護においても、病院とは比較するまでもなく劣悪であった。

監置室の建物の堅固な点については、精神病者監護法の規定通りの物が多かった一方で、衛生上の観点から見た場合は、法に規定された設備を欠いた物がほとんどであった。監置を監督する役目を負った警察官には医学の知識が無かったため、医学的・衛生的観点からの忠告がなされることは無かった。ただし、そもそも警察官が監置室を実際に臨視・監督していたかどうかは疑わしく、全国に調査に赴いた呉秀三の門下生が監置室を確認したところ、患者がすでに死んでいたり移籍したりしていた例もあった。

患者の待遇の良し悪しは、資産の多さや同情の大きさなどに左右されたが、それとは別に、患者の監置に当たった患者の家族や官吏は、精神病に関する知識を欠いていた。

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フィリピンのメトロマニラでで医学生をしています。 フィリピンで経験したことや、医学、趣味、旅行、ビジネスなどについてブログに書いていきたいと思います。